これはまだ解明されていないことなのだけれど、表題テーマは、この半年ほど前から私の頭を離れない《謎》であった。
というか、そもそも「北京原人」自体に興味があったわけではなくて、今の私たち「ヒト(現代人)」の誕生が、20万年前ごろのアフリカで、そこから全世界に広がったという説を知ったときに、
「ならば、それまでのネアンデルタール人とか北京原人とかは、新たに世界展開したホモサピエンスに征服されたということ?」
という疑問に取りつかれたのだった。
ネアンデルタール人も北京原人も、「原人」というだけあって、今の人の祖先とは言えないようだが、50万年以上も前に、すでに石器や火を使っていた痕跡がある。
ネアンデルタール人は4万年前頃に絶滅したというので、おそらく北京原人の絶滅も現代人の出現後のことだと思われる。すなわち、ホモサピエンスの祖先が現れた20万年前から4万年前までの16万年という途方もない期間に、地球上のどこかで場所を違えて同時期に生息していたということだ。現代人の遺伝子解析の結果から、現代人とネアンデルタール人とが一部交雑していたとする説もあるが、ネアンデルタール人も北京原人も「絶滅」したという説には異論がない。
ホモサピエンスは、最も古い痕跡が20万年前のアフリカで見つかったようだが、イスラエルで発見された同種の痕跡が19万年前とのことなので、出現から1万年内外ですでにアフリカを出てユーラシアやアジアに移動していたということだ。はたして、20万年前に生まれた現生人類(ホモサピエンス)が、先住原人たちを征服・駆逐したのだろうか。あるいは、それら原人が絶滅した跡地(ニッチ)に現代人が入り込んだのか。両原人共に、少なくとも、今の人類よりも長い期間にわたって世代をつないで進化したはずなのに、どうして、「絶滅」してしまったのだろうか?
まあ、そんなことはどうでも良いと言えばどうでも良いことで、今からたった400年ほど前のヨーロッパ人が、南米・北米・オーストラリアの先住民族を放逐した歴史を読むと、現代人が消滅させた民族も少なくないだろう。もしかしたら、各々の民族の「進化」の過程で、「少しだけ」技術に長けた民族が、先住民族を駆逐・絶滅させるということは、現生人類20万年の歴史の中では「よくあること」だったのかもしれない。
人類の歴史には、民族同士の戦争・凌駕が数々記載されているので、それが人類進化の「結果」だったと言えないこともないのだが、今の私たちは、少数民族を尊重するし、「民族浄化(絶滅)」などという思想は、80年前のホロコースト以来、封印・忌避されている。それどころか、「国境の現状変更」でさえ、(それを目論む国は数々あるのだけれど)「好ましくない」という考え方を持つ人々が、少なくとも日本の中では多数派なのだろうと思うと安心だ。
それにしても、その「進化」は、世代を更新(子孫を残す)たびに起こるはずだし、1世代を20年とみなすと、最初の現生人類が誕生してから21世紀の私たちに至るまで、ざっと1万世代。私たちが「有史」として記録をさかのぼれる2~4千年(人類史の中の高々1~2%の期間)に限ると、高々200世代しかない。たったその程度の世代更新(交替)のたびに、「民族」の技術や能力の進化に微妙な差が生まれて、他の生物種(動植物)を蹂躙するだけではなく、民族間の抗争も果てしなく繰り返されたのだと想像すると、1回ごとの進化(子どもを産んで育てるということ)の重要性に驚いてしまう。
と、あらためて、現代の(高々100年程度の)平和の尊さを有難く感じるとともに、きっとそれは「人類の進化のあかし」なのだと、あらためて、人類が間違った方向に進化しなかった事実に感謝するし安堵する。
なんで、こんなことを考えるようになったのかというと、それは、昨今のコロナウイルスがきっかけだ。
ウイルスはそもそも生物進化の要の役割を果たしていて、今の私たち(現代人)をここまで昇華させた立役者といっても良い存在なのに、巷では「ウイルスとの戦いに勝つ」とか「ウイルスを撲滅させる」などと意気込んだり、ウイルスが体内に侵入することで滅亡するかのような恐怖にさいなまれる人が現われたからだ。
征服・絶滅を繰り返した歴史を終わらせる平和思想に浸れるまでに進化した現代人が、私たちのここまでの進化に貢献してきたウイルスを、ただただ「絶滅」させようとしていることに、少し怖くなったのだった。
もっとマイルドにウイルスとの共生を計れないものか。この期に及んで「ウイルスのいない身体」を創造しようとしている現代人は、どこに進化しようとしているのか。
じつは、このことが、今の私の最大の《謎》なのだ。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男