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6月1日に配信された「新たなフィットネスの夜明け~「ワクチン接種」に備える」に関して、読者から
「コロナやワクチン自体にたいして様々な意見があることは周知されていることとは思いますが、人それぞれ選択肢もあり打たない選択をすることは間違えではありません。」
というコメントを頂いた。
そして私が、「フィットネスを志向するような健康志向の方々は、いち早くワクチン接種を終えようとしている」と記したことについて、
「フィットネスを好むひとは健康志向でワクチンを打つのが当然だと言い切っているように感じます。」
と受け止められたとのこと。
私としては、そのようなことは全く思ってもいなかったのだが、そのように伝わったのだとしたら、私の書き方が未熟だった故と反省している。
改めて申し述べたいのだが、コロナウイルスとその対応に関しては様々な考え方があり、ワクチンについても「打ちたくない」あるいは「接種は危険」と思っていらっしゃる方が少なくないことはご承知のとおりである。
「ワクチンを打ちたい」と思っている方も「ワクチンを打ちたくない」と思っている方も、さらには「ワクチンは危険」と思っている方も、だれのどのような意見に対しても、私としては異を唱えるつもりはないし、各々のご意向はすべて尊重されるべきだと思っている。
さて、本題であるが、先のコラムで述べたかったことは「ワクチンを打つのが当然」ということなのではなくて、
「健康志向の方々にはワクチン接種を待ちかねた方が多く、ワクチン接種を終えたらフィットネスに志向するようになる」
ということだ。
つまり、「フィットネスを再開した(あるいは新たに始めたい)と思う方がたくさん現れる」という現実的な見込みを訴えたかっただけなのだ。そのうえで、「そのような方に届くメッセージを早い段階で用意して求められるプログラムを提供する準備を整えておくことが肝要だ」と伝えたかった。ただ、書き方が未熟だったために私の意図とは異なる心情を持たれた方がいらっしゃったことに、率直にお詫びを申し上げたい。
さて、「ワクチン接種」という対策は、「ワクチン接種によって感染を予防できる(安心できる)」と判断する方には朗報であるし、「接種しても感染リスクは残るし危険な医療行為」と判断する方には忌避されるべき行為である。これは、あくまでも「個人の健康」の在り方についての判断なのであって、例えばある症状に対して「手術をするか/しないか」というような医療行為の選択と変わることはない。
もちろん、国がワクチン接種を進めている(勧めているではない)のは、「ワクチン接種したい」と思う方にその機会を早く広く提供するためのものなのであり、「万人に広めること」が目標とされているわけではない。
そもそも、国(政府)が進めているのは「公衆衛生活動」なのであり、「公衆衛生」は「個人の健康」とは異なる次元の健康増進活動なのだ。
昨今のコロナウイルス対策としての「公衆衛生」においては、一般的には「国民の7割が接種すること」が目標なのであって、「すべての人に接種」ということを目標としているわけではない。「ワクチンを打たない人」がいたとしても、ワクチン接種がある程度浸透してウイルスの増殖感染が抑えられたとしたら、「公衆衛生上のワクチン接種プログラム」はその目的を達成するということだ。
つまり、「ワクチンを接種したかどうか」という個人の判断によってその結果が異なるのではなくて、「ワクチンを接種したい人」も「ワクチンを接種したくない人」も、各々の意思を尊重して各々に行動することで、Win-Winの関係が構築できるようになることが「公衆衛生上の目標」なのだ。
でも、このようなWin-Winの関係というのは、皆が互いに助け合いながら行動することを前提とするのであって、「ワクチン接種希望者」が攻撃されるような状況になっては成立しないことも自明である。だから私は、「ワクチン接種希望者」あるいは「ワクチンを拒否しない方」の総てが接種できるようになることが、「ワクチンを接種したくない人」にとっても朗報をもたらすものと信じている。
ワクチン接種には副反応としての痛みや苦しみを伴うわけなので、個々人が求める「健康」のあるべき姿の帰結として「ワクチンを接種したい(する)人」や「ワクチンを接種したくない人」という各々の姿がある。お互いがお互いを尊重して認め合うことによって、結果的に「公衆衛生上の成果」が得られるようになることが肝要だ。
じつはそれは「マスク」についても同様だ。「マスク」については、「ワクチン」のように副反応が明確ではないため、「マスクしたくない」という意思表明については「反ワクチン」よりも表明しにくい雰囲気があるようだが、これも、「公衆衛生上の課題」と「個々人の求める健康」との次元の違いを皆が理解認識して、お互いがお互いの意思・行動を尊重していけるような世の中になることを願っている。
ちなみに、先週月曜日に
《ワクチン敵視、背景に疎外感 「反対派」レッテル貼り危険―専門家「互いに尊重を」》
と題する記事が時事通信から配信された*。
そこに掲げられた写真(新型コロナウイルスの感染症対策などに抗議し、プラカードを掲げてデモをする人たち)には、「ワクチン拒否」とともに「マスク外そう」というプラカードが掲げられていた。おそらくは、「ワクチン」も「マスク」も、それを強要されていると感じる方が少なくないのだろう。
私は、記事にあるように「反ワクチン」の意思が「疎外感」だけに起因するとは思っていない。だから「レッテル貼り危険/互いに尊重を」と言いながら、それが「疎外感」を抱く程度の少数派であるかのように報じる記事には誤解される可能性もあると警戒している。「公衆衛生」を推進している方々の中にはまだまだ「ワクチン接種」が正統派(本道)と邁進している方がいるような危惧も覚えている。
おそらくは、8月中には「5割」というラインが見えてきて、そこから先は伸び悩むという状況で、感染者数の増減に一喜一憂するということがしばらくは続くのだと想像しているけれども、「感染者が減らないのはワクチン接種しない人がいるからだ」というような心無い暴言が世に出回らないようになることを切に願っている。
(JWIコネクトに連載中。閲覧はアプリから→ https://yappli.plus/jwi_sh )
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