【14】 「感染者数」が私たちの意識にもたらす効果

「感染者数の抑制は何よりも大切だ」という考え方がある。

どうして「感染者が増えること」は悪いことなのだろうか?

そりゃ、当たり前!

「感染者」が出現したからこそ私たちの生活は一変したわけだし、感染者が少なければ少ないほど「コロナに脅える」必要が少なくなって、自由な生活を謳歌することができるようになるのだから。

 そのことには全く異論がない。

だから、「感染者数」を抑制するための様々な施策が繰り返されるのだ。

「感染者数抑制」のための代表的な施策は、「人と人との接触を少なくすること」と「ワクチン」。このうち、「他人との接触を避ける」という作戦は、相当に効果を上げたようだ。なにしろ、皆がマスクや自粛に努めた昨年度は、インフルエンザ患者が例年の1000分の1に激減し、「今シーズンは季節性インフルエンザの流行なし」とまで言われた。

これまでは、年ごとに想定される型に合わせた予防つまりワクチン接種で備えていても、多数の感染者が発症して学校が閉鎖されることもあったというのに、「マスクと自粛」が徹底されていた今シーズンは「インフルエンザウイルス」の出番がなくなったようだ。もちろん、その代わりとしての「コロナウイルス」が私たちの脅威となったのだが、それにしても「マスクと自粛」への期待は高まるばかり。

が、その効果にも陰りが出始めている。為政者としては、「さらに強い劇薬」も想定示唆しているようだが、「感染者数」という目標値をいったん棚上げすることはできないのだろうか?

私たちが「新型」のインフルエンザウイルスに脅えたのは、12年前のこと。それが、毎冬の流行を繰り返しながらも「季節性」として受け入れられるようになったプロセスには、「タミフル」「リレンザ」といった治療薬の存在も大きかった。もちろん「ワクチン」の予防接種も毎冬の年中行事になっていたけれど、「発症しても治る」という気持ちのゆとりが、パニックを防ぐために大きな役割を果たしていた。

昨年の今頃は、「新型コロナウイルス」に関しても、「レムデシビル」や「イベルメクチン」といった《治療薬》の適用が期待されたし、日本製「アビガン」への期待も大きかった。それらの開発状況が最近報じられないのは、いったいどうしてなのだろうか?

ところで、「マスクと自粛」という手法には、国民の意識の強化が欠かせない。

先の戦争中にも「ぜいたくは敵だ」とか「進め一億火の玉だ」などと、国民意識の高揚が図られていたが、今回も、「国民意識高揚」という作戦が展開されている。そのために、最も効果的なメッセージは、「不安を煽る」ことだ。

じつはこれは、健康づくりのメッセージのほとんどに含まれる鉄板原則だ。「不安を煽る」ことによる成果を上げるためには、「治った」とか「治せる」といった安心を与える情報よりも「感染者数増加」といった不安を導く情報の方が効果的だ。なにしろ、「感染者数」という数値は、多少減ったところで「第4波が来る」などと付け加えれば、決して国民を安心させる情報へと転化されないのだから。

12年前の「新型インフルエンザウイルス」に対しては、「治療薬」という安心環境(情報)が盛んに喧伝されたのだが、「新型コロナウイルス」についてもそのような「安心情報」を政府やメディアがもたらしてくれるようになるのはいつのことなのだろうか?

最近では、マスメディアよりもSNSメディアの情報量の方が多いようなので、もしかしたら「安心させたくない」のは、私たち国民自身なのかもしれない。

思えば、「フィットネス」という標語は、人々に「安心」しかもたらさない、素晴らしいメッセージだったのだなぁと、改めて感じる。

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