今年も、ゴールデンウイークは「緊急事態宣言」の下に置かれた。
昨年から始まったコロナウイルス感染者の拡大が収まらず、新たに「変異株」なる危機が叫ばれたことから、それを抑えるために「緊急事態宣言」が発出された、ということになっている。
おそらく、政府は「緊急事態宣言」という手法を用いることで、「感染者数」を削減抑制できると確信しているのだろう。今回は、「短期間に集中的な対策を講じることで感染を減少に転じさせて抑え込みたい」という目論見のようだった。
つまり、「緊急事態宣言」という手段には「感染者数」を減少させる効果がある。と、広く信じられているのは間違いない。でも、その効き目があまり高くないことにもうすうす気が付き始めていたのではなかろうか。だからこそ「短期間に集中的な」というような、いわゆる「頓服薬」を想像させる表現に至ったのではないかと推察できる。
例えば「喘息」などの苦痛症状を和らげようとするとき、薬を用いることがある。最初は副作用の少ないマイルドな薬が用いられるのだが、それが効かないときには「少し強い薬」が用いられ、それでも効かないときには「強い薬」が用いられたりする。
「薬」という手段の悩ましいところは、一度始めてしまうと、「効かないからやめよう」という撤退戦略ができにくいことだ。だから、究極の薬が効かなくなったときは、ただただ苦しみに耐えることしか残されていない。それでも、「医学の限界」と思えばあきらめざるを得ない。
ところで、ウイルスに話を転じると、最強の劇薬は「抹殺すること」。養鶏場で鳥インフルエンザなどの感染症が見つかったときには、その感染個体だけではなく同じ養鶏場内のすべての鶏に殺処分が施される。今年の3~4月にも栃木県内の養鶏場や養豚場で「全個体の殺処分」が執行された。
人間に対しては、このような「最強劇薬」が用いられることは決してないのだが、少しくらいは「苦しみを伴う処方」がなされることは許されるのだろう。
思い起こせば85年前、1936(昭和11)年の今頃、日本は太平洋戦争に向かう「開戦直前」の緊張感にひたっていた。続く1938年の「国家総動員法」や1940年の「大政翼賛会」も、日米の「開戦直前」の出来事だった。しかし、そのころすでに「ぜいたくは敵だ」とか「パーマネントはやめましょう」などの標語を載せた看板が町中にあふれ、「自粛」を強制する「巡察隊」が繰り出されて「新しき国民生活」が推奨されていたとのこと。(※筒井清忠、戦前日本のポピュリズム – 日米戦争への道 (中公新書)、2018)。
最終的には、国内のあらゆる都市が「焦土」と化すまで爆撃が繰り返されたさまは、もしかしたら、「ウイルスの焼殺処分」にも似ているような気がする。
今は、じわじわと蝕まれていくばかりの私たちの「日常生活」は、これからどのような「強い薬」によって治されようとしていくのだろうか?
80年前の日本でも、じつは多くの国民は、「焦土」を想像することなく「明るい未来」を待ち望みながら、ひたすら苦痛に耐えていたに違いない。
(続)