30年ほど前に気づいたことなのだが、《健康づくり》を促進(プロモーション)するためのメッセージには「鉄板」とでもいえる大原則がある。
それは、以下の3要素からなる3段論法のこと。
- 不安をあおる
- その原因を解説する
- その対応策を提示する
たとえば、「健康のため運動しましょう」というメッセージを伝えようとする場合、90年代前半の当時の論法としては、次のような《3段論法》が普通だった。
- 歳を取って寝たきりになると困りますよね(車椅子に乗って後ろに介護女性が立っているような写真で印象付けたりすることも…)。
- 便利な社会になって身体を動かす機会が少なく、運動不足になりがち。そのためには身体を動かすことが一番。
- ここに示す簡単な体操なら、一日5分だけで寝たきり生活を防止できます。
これが、例えば「がん」という不安要素を前面に出すと、
- がんに罹る方が増えています。がんに罹るとつらい治療を受けなければならないし、再発リスクそ心配しながら老後を過ごさなければならない。
- 最近の研究で、有酸素運動を習慣にしている人はがんに罹りにくいということが分かりました。
- フィットネスクラブやジョギングで行えますが、まずは手軽なウォーキングでがんに罹らない身体をつくりましょう。
というような、パターンもあった。この「有酸素運動」の代わりに、「赤ワイン(ポリフェノール)」などの食品やサプリメントを提示する場合にも、このパターンは多用された。
私がこのことに気づいて、その効果についての研究を手掛けたのは20年前のこと。
私が言い始めたからだということは絶対にないのだが、2000年代の前半には、少しだけ《不安(煽り)》の要素が抑制されていたように感じた。《不安》という刺激は、その文面によって強度を調節できるとは言え、大衆の心を攪乱する劇薬のような効果を有しているので、広告効果を求める方にとっては《禁断の》メッセージ発信法であった。
ところが、最近のコロナ禍では、どうやら政府の為政者や専門家たちの間に、この禁断の手法への誘惑が高まっているような気もする。実際にそれを伝えるのはメディアなのだけれども、毎日の感染者数を連呼して国民大衆の不安を煽る結果になっていることにはお構いなし。
よほど切迫感があるのだろう。
でも、この「コロナ不安の扇動」には、肝心の「解決策」が用意されていないのが気になる。
冒頭に述べたように、「健康づくりメッセージの大原則」は、「不安扇動→原理解説→対処方策」という3段論法で完成しなければならないのに、「不安扇動」だけで終わるメッセージしか与えられないのは、はなはだ「不安」だ。
じつのところ、私たち国民の多くは、「感染者増加」自体が怖いのではなくて「自分が感染して苦しんで死ぬこと」が怖いのだ。「感染防止」のための「マスク」や「三蜜回避」といった対策も結構だけれども、私たちが本当に求めている「対策」は、「感染しても重症化しない(苦しまない)方策」なのではないだろうか。
「感染防止」という解決目標は政府や公衆衛生学者にとっては重要かもしれないけれども、私たち大衆にとっては「自分の命と健康」が何よりも大切なのだから。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男