ほとんどすべての人がその重要性を認めているのに、その存在意義が否定される(あるいは認められない)ものの一つに「プラセボ」がある。
「プラセボ」というのは、日本語では「偽薬」と呼ばれていて、例えば新しい薬を開発したときに、本当にその薬が効くかどうかの比較対照のために使われる。
某医薬品業者のホームページには、次のような記述がある。
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プラセボは、薬と外見上はまったく同じで、中身は澱粉や糖分などで作られています。「薬をのんだ」という安心感を患者さんに与えることで、薬の害作用や薬物依存を回避し「自然治癒力と暗示的効果による経過を見る」という治療意図で使われます。また、治療目的ではなく比較対照臨床試験で、試験薬の効果と暗示的な効果を区別するためにも使われます。
http://medical.radionikkei.jp/suzuken/final/021024html/index.html
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つまり、「偽薬でも効くのだから、それを上回る効果がなければ新薬としての効果は認めない」ということ。「偽薬にも効果がある=プラセボ効果」は、万人が認めることなのだ。
そして、「薬の害作用や薬物依存を回避して、自然治癒力と暗示的効果による経過を見る」という治療意図で使われることもあるらしいのだが、「偽薬」はあくまでも「ニセ薬」。医師が大手を振って「偽薬を処方します」と言明することは、ほとんどなかった。
では、「何もしない」ことと対照して「(澱粉や糖分などの)偽薬」に効果が認められたとして、それが医療の現場で用いられる(処方される)ことはあるのだろうか?
そもそも、ほとんどあらゆる疾患には何らかの薬剤が用意されているので、わざわざ「偽薬」を処方するには及ばないとも言えるが、副作用を防ぐ観点からも、今世紀にはいってから「プラセボ効果」に関する研究が盛んにおこなわれるようになってきていて、「プラセボだと被験者が知っていても、効果がでる場合があることもわかってきた」
とのこと。
そして、例えば、全日本民医連のホームページでは、
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「この薬はよく効く」と思って服用すれば良い効果が得られるでしょう。ところが「ジェネリックは効かない」との思い込みがマイナスのプラシーボ効果を生むと、薬の効果が低くなってしまうかもしれません。
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と述べているくらいだから、「効くと思えば効く/効かないと思えば効果が低い」ということは、もはや医薬業界の常識なのだろう。
でも、現状では標準治療の方法として確立しているわけではないし、保険適用もされていないので、医療の現場で広く普及しているとは言い難いようだ。
それはさておき、フィットネスに関しても同じような研究成果がある。
米国のホテルに勤務するHousekeeperを対象として、「あなたの仕事はとても活動量が多くて健康ガイドラインを満たしている」と教唆(説明して理解させること)を行ったところ、実際の活動量には変化がなかったのに4週間後には「自身の身体活動量の自覚レベル」が増加して、何も教唆しない群と比べて(驚いたことに)体重・血圧・体脂肪にまで有意な減少が認められた。
(A.J. Crum&E.J. Langer, Psychological Science, 2007)
「エクササイズとプラセボ効果」と題するこの論文の読者は、「エクササイズには心理的な効果もある」と納得するかもしれない。でも、本当に重要なのは、「実際の活動量に変化がなかったのに」というくだり。私たちは一生懸命に「運動/身体活動量を増やして」と推奨しているのに、「その気になる」ということだけで効果が表れたという。
「運動=エネルギー消費」に価値を置いてフィットネスを進めてきた根本原理が覆されようとしている危機。この論文を読んだ私は、一瞬そう思ったのだけれども、すぐに気を取り直した。
「そうだ、これで良いのだ!」
医療の世界ではまがい物扱い(否定)されるプラセボ効果であっても、フィットネスの世界では堂々と宣伝してよい。ならば、これもまた「新商品(新兵器)」として、私が普及させる理論の一つに追加できるだろう。
じつは、フィットネスのあらゆる試みには医療のような規制がないので、プラセボであろうがエアロビクスであろうが、「効果」があるかどうかを決めるのはクライアント(実践者)なのだ。
「信じる者が救われる」というプラセボの理論は、もしかしたらフィットネスの根幹理論かもしれないのだ。
(JWIコネクトに連載中。閲覧はアプリから→ https://yappli.plus/jwi_sh )