緊急事態宣言が発出されて、都内での飲食店の営業が20時までに制限されている。
この記事が公開される1月26日には、もうかなり「当然のこと」として世間に定着していることだろう。
でも、どうして「飲食店の営業」が制限されなければならないのだろうか?
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会長を務める尾身茂氏は、昨年末の会見で、「最も感染リスクの高いのが、実は飲食を伴う機会(特にお酒を伴う飲食)。比較的少人数(4人以下)で行動している場合の感染のリスクは極めて低い。」と述べた。
そして、1月7日に発出された緊急事態宣言時の直前には、
と報じられた。
つまり、
「多くの人が(密に)集まると感染拡大が起こりやすい。特に、飲み会の場はそのリスクが高くなる。」
ということ。
ここまでは、「常識」=「当然のこと」だ。
では、どうして、「飲食(飲み会)だと感染しやすい」のであろうか?
そりゃ、「飲食時にはマスクもつけないし、とんだ飛沫に触れる機会も多くなるから」という答えが返ってくることだろう。
では、「飛沫に触れると感染する」のであろうか?
そりゃ、「飛沫にはウイルスが含まれているかもしれないから」でしょ。
そうすると、「私たちが普段会食している人たちは、じつはウイルスを持っている」ということ?
この疑問に対する答えとしては、
A1:だれが持っているかわからないから、みんなでマスクして感染を防いでいるのでしょ。
A2:ほとんどの人は感染してないけれど、万一感染している人と会食したら危ないでしょ。
などが想定される。
いずれにしても、保健所で「感染者(PCR陽性者)」としてチェックされてはいなくても、巷間のそこかしこに「ウイルス保持者」がいるということ。
じつは、尾身会長も次のように述べている。
「全く気づかないうちに起きてること。この感染拡大のひとつの大きな理由が、20代から50歳ぐらいの比較的若い人。感染しても、症状がない、あるいは軽症なために社会活動が活発になる。」
つまり、「感染しているのに症状がない人」が、今般の感染拡大の中心になっているということは、専門家会議でも明らかになっているし、総理も知事も、そして多くの国民もみんな分かっていること。そうでなければ、公共の場でマスクをしてソーシャルディスタンスを保ったりしないだろう。そのように振舞うのは、「どこに感染者が潜んでいるかわからない」=「だれもが(今)感染している可能性がある」ということを信じているからに他ならない。
このことは、「なんでそんなことを指摘しなければならないの」と苛立ちを感じながら「当たり前でしょ」と答えるレベルの「常識」だ。
ではなぜ、咳や発熱の症状がある人だけを検査して「感染者」と認定しているのだろうか?
本当は、もっとたくさんの「感染者」がそこかしこに潜んでいることを、誰一人として疑っていないのに。そしてまた、そのような「無症状感染者」が感染拡大の最大のリスクになっていることも分かっているのに!!
じつは、PCR検査を受けていない人々の中にも「潜在的なウイルス保有者」がいることは昨年3月から指摘されていたし、専門家(だけではなくたぶん多くの国民)の間では常識だった。そして、「すべての国民にPCR検査を」と声を上げる方もごく少ないが存在した。
それでも、「意味がない」とか「そんなことをしても混乱するばかりだ」と棄却されていたのだ。
それではどうして、すべての国民を検査して本当の感染者を判定しないのだろうか?
「いま私が感染しているかどうか(していないこと)」を判定できれば、「飲食店の営業制限」や「飲み会禁止」などの規制を行う必要はないし、GoToなどのキャンペーンも必要ない。
じつは感染していないことを証明しようとして、多くの国民は、「毎朝の検温」で自分が感染していないかどうかをチェックしているので、本当ならば簡易PCR検査で安心したい国民は多いはずだ。
結局のところ、「PCR検査を行う体制が整っていないから」というのがどうやら、「飲食店の全面規制」の原因らしいと感じられる。
と、思っていたら、
という記事(1月15日)が飛び込んできた。
なんだ、できるじゃないか。
それでは最後の質問。
市民全員へのPCR検査ができるというのに、(それを行おうとしないで)どうして緊急事態などと宣言して「飲食店の営業/夜の外出/飲み会など」の規制を行うのであろうか?
全員にPCR検査して「陽性の方は活動自粛して」とお願いする方が、国民の理解も得られやすいし、経済活動にも支障はない。さらにいえば、三蜜防止のための窓開け換気で風邪をひくリスクも少なくなるのに。
「常識を疑うこと」は、とても大切なことだと私は思う。
疑うべき常識は、フィットネスの世界にも意外に多いのだ。
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