緊急事態宣言が発出された1月7日の夕刻。
トランプ支持者が米国連邦議会議事堂を占拠、4人が死亡したとの報がもたらされた。
自分たちが信じることが覆されたことに承服できない人々が実力行使に及んだということで、アメリカ社会の分断がますます加速することが憂慮される。
「トランプ派」の人も「反トランプ派」の人も、各々に言い分や価値観(大切にしたいことがら)があると思う。それが異なる時にどのように振る舞うのかが問題だ。私としては、どんなことがあろうとも「暴力」という手法で問題解決を図ろうとすることには賛同できない。しかし、実力行使に訴えるしか道はないという状況まで追い詰められた人々がいたとしたら、残念なことだ。
「正義感」が異なると、同一の事象であっても、異なる「事実」が認知されるということだ。トランプ派の人々にとっては、いくつかの州の選挙結果は「不正の帰結」というように理解されているようだ。そういえば、そもそもトランプ大統領は就任の当初から、自分に都合の悪い事実や報道を「フェイク」と断定していた。
話は全く変わるが、最近の私は、ほとんどが在宅勤務で、マスクをつける習慣がない。先日、電車に乗ったおり、隣の席の方から「マスクぐらい着けろ」と注意を受けた。すぐに謝って装着したのだが、世の中には「マスクを着けずに外出する人を許せない」と思う方も多いようだ。もちろん、今の日本にはそのような認識を抱く方が多数派で、私のようにマスクを着ける習慣がない者は、おそらく1割以下の少数派なのだろうと思う。
ここまで大きな「多数意見」が形成されたとしたら、「少数派」はひとたまりもない。いわゆる「マスク警察」などの現象が生じるのも、「多数派」の正義感によっている。
とはいえ、自分たちの信念とは異なる他者を許せないという気持ちは、今回のコロナ騒動で始まったことではない。例えば、エスカレータの左側に一列で立って右側列を空けるという習慣が首都圏地域では存在するが、空いている右側列を歩かずに立ち止まろうものなら、後ろから来た人に「邪魔だ、歩け」とばかりに圧迫されることは周知のこと。このような心理状態を「同調圧力」と呼んで、日本人によくみられる現象だと論じる社会学者もいるほどだ。
米国のように「5対5」の分断にも困ったものだが、日本のような「9対1」の同調圧力だって油断はならない。ことの根本は、自分とは異なる価値観や正義感を許容できない人々が多くなっているということだ。
さらに話を飛躍させるが、私はできるだけ医者にかからないようにしているし、薬も飲まない。昨秋、たまたま測った血圧が高かったので、自宅の血圧計を疑って、大学の保健室で測ってもらったのだが、自宅での測定値とほぼ同じ「155/115mmHg」。保健師からは「お医者さんに診てもらった方が良いですよ」と念を押されたのだが、行っても薬を処方されるだけ。根本解決からは程遠い「服薬」をする気はさらさらない。
こんな私を、皆さんはどう思うだろうか?
私の周りには、毎回の食前食後に何錠もの薬を服薬している方が少なくない。70歳を超えると、ほとんどの方が常備薬を服用しているようだ。でも私は、そのような方々に「薬をやめろ」と勧めるつもりはない。というか、5年ほど前、昼食をご一緒した方に「薬をやめた方が良いですよ」と忠告したのだが、「中村先生と一緒に食事すると叱られる」と敬遠されてしまったようだ。以来、私は自分の信条を他人に勧めることに慎重になった。私は、「薬を拒絶する異常者」だと思われることもあるし、「医者や薬」を勧められることも少なくない。
なにしろ、ここでも私は「少数派」なので、自分の正義感を押し付けるわけにはいかないし、その戦いには実りがないことも分かっている。
フィットネスのクライアントの中にも、皆さんとは異なる価値観・正義感を抱いている方がいるかもしれない、このことは、普段から気に留めておいていただきたい。
自分とは異なる思いや正義感を抱く他者を尊重することは、意外と難しいのだから。
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