【17】「理解しあう」ということ(2020年10月27日)

 前々回から述べているように、この世の中には、「話しても分からないこと」が意外に多い。ところが、多くの人々は「話せば分かる」と信じ込んでしまっていて、「話しても分からないことがある」ということに気づいていない。だから人々のコミュニケーションには誤解やすれ違いが起こる。「言ったじゃないか=なんで分からないのだ」などと怒るケースは、そのすれ違いの典型だ。

 このような《誤解》を避けるためにはどうしたらよいか。それは、「話しても分からない」ということを前提として対話すること。もっといえば、いくら懸命に話を尽くしても、それだけで相手に理解や同意をしてもらうことは不可能なのだと気づくことが重要だ。

 そんなバカな(話を尽くさないでどうやって理解してもらえるのだ)と感じた人もいるかもしれない。でも、よくよく考えてもらいたい。会話と言うのは、自分と他者(相手)がいて初めて成立する。自分の考えや信念を相手にわかってもらおうとするという(自分の)態度があるとすると、相手も同じように自身の考えや信念があって、いつでも他人の信念をそのまま受け入れる心の態勢を整えている人なんて、探すほうが難しいのだ。それなのに、「話せば分かる」と(何故だか)信じている人が多い。

 では、どうしたらよいのか?

答えは簡単。相手が何を考えてどのような信念を持っているのかを理解しようとすることである。そして、まずは相手を受け入れること。

 そもそも、相手に何かを伝えるという作業は、相手の認識している状態を変化させる(たいていは付け加える)作業である。その時、どうして自分の信念や考え方は変えないで相手だけを変えようとするのか。それは、自分が正しくて相手は正されるべき存在だと思い込む傲慢な態度から生じる。

もちろん、「教えてください」と相手からお願いされた状況であれば、「教えてあげる」という態度で臨むことは間違いではないが、その場合でも、相手が理解できないときに「教え方が悪いから理解できないのだ」と思わないとしたら、それは傲慢な態度だということ。だから、まずは相手を理解して(=相手の状況に関する自分の思い込みを見直して)、相手が何に困っているのか、何を訴えているのか、そして、どのようになりたいと思っているのかを理解することが肝要だ。

自分の考えや認識を他人に伝えようとするとき、自分の言葉を尽くして説得しようとすることは多くの場合は失敗(=話しても分からない)に通じる。自らの言葉を語る前に、「どのような言葉が相手に通じるのか」ということ、すなわち相手の信念と認識と考え方・感じ方をきちんと理解することがまず最初に為すべきことなのであり、自らの言葉に頼らずに相手の思いや信念を尊重し、それを踏まえて「どのようにすれば(話せばではない!)相手がわかってくれるのか」ということをきちんと見極めることが、相互理解の前提条件となる。

それは相手に話しかけるよりも相手の話に耳を傾けることでしか達成できない。

自分の言葉が相手に通じないとき、あるいは、自分の考えを相手に伝える(理解してもらう)ことができないとき、「もしかしたら自分が間違っているのではないか?」と思える心の広さを持っていれば、一方的に説得しようなどとする態度は生まれないだろう。

 「何故わからないのか?」という疑問は、相手に問い質す言葉なのではなくて、指導者自身に問いかける(反省する)ための言葉なのだから。

 相手の話に耳を傾けて相手を理解する(場合によっては自らの認識を改めることも厭わない)ことができるようになること。そこから相互理解が深まり、言葉が通じるようになっていく。これが新しい時代のフィットネスにおいても重要な考え方であり、新時代のフィットネス指導者が習得すべきスキルの一つなのだ。

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