本日(9月15日)は、久しぶりに大学(所沢キャンパス)に出校した。
というか、じつは、先週土曜日にも入試関係の仕事で出校しなければならなかったので「久しぶり」というのは正確ではないのだが、4月に「キャンパス立入禁止(在宅業務)」になってからは、6月と7月にそれぞれ一度ずつ、必要に迫られて出ただけで、二日空けただけで連続出校するのが久しぶりだったということ。
土曜日に出校した折に、溜まった郵便物とか処理しなければならない書類がほとんど片付けられたので、本日はゆとりをもって研究室に滞在できた。改めて、書棚を見ると、よくこれだけ読んだものだと感じ入るほどの書籍が棚を埋めていた。
「薬のやめどき」長尾和宏著
「病気の9割は歩くだけで治る」長尾和宏著
「健康診断を受けてはいけない」近藤誠著
「歯はみがいてはいけない」森昭著
「やっぱり歯はみがいてはいけない」同
「老いも病も受け入れよう」瀬戸内寂聴著
などなど、現代医療に疑問や批判を向ける観点からの書籍も多い。もちろん、寂聴さん以外は医師(歯科医師)が著したものなので、健全な批判的精神の賜物と思う。
それはさておき、先月末(30&31日)に「人間における自然ということ」と題して野口晴哉氏の著作(三部作)の内容を紹介した。
70年以上も前に著されたにもかかわらず、今世紀に入ってからわざわざ文庫版が刊行されるほどに価値ある著作なのに、その考え方は必ずしも広まっているとは言えない。
野口晴哉氏が若かったころは「インチキ」と誹謗されることは茶飯事で、(戦前のこととはいえ)逮捕されたこともあったという。もちろん、本当の実績を遺したからこそ、現在に至るまでその思想と治療法は脈々と続けられているのだが、決して本流とはいいがたいと思う。
おそらくは野口晴哉氏の思想と技法が《医療》の枠組みにはまらなかったからだと思うのだが、現代の日本医療は「保険医療」だけが正当でそれ以外の手法は亜流であるかのように受け止められていて、ましてや(野口整体のように)「本当に治る」手法については、正統医療の大家からは忌々しい存在に映るのかもしれない。
それはさておき、上述の書籍はいずれもこの5年内に刊行されたもの。野口の著作から見ると極めて《最近》のものなのであるが、このような著作が続々と刊行されてもなお、人々の気持ちが変わらないからこそ、このようなセンセーショナルなタイトルの書籍が求められるのだろう。
じつは、今度の日曜日(9月20日)に魚住サロンを予定しているのだが、今回はそのタイトルを「間違いだらけのランニング」と名付けた。これは、昨今のマラソンブームの陰で、自身の走り方(の歪)によって身体を痛め傷つける結果をもたらす人が多いということに気づいたからで、そのような世の中を変えなければいけないと思ったがゆえに、このようなセンセーショナルなタイトルにしたのであった。
魚住先生は「いいですね。まさしく…」と評価してくださっているのだが、巷にはこのタイトルに眉をひそめる方がいたという噂を聞いた。
私たちの観点からは「間違ったランニング指導」をしている《エセ本流》の方々にとっては、このサロンは忌々しい存在に映るのかもしれない。
私たちは、そのような方々を敵に回すつもりはないのだが、邪魔をされても困るので、心を痛めているところである。
と思いながら、元の書棚を見ると、端の方に、
「予想どおりに不合理」ダン・アエリー著
というタイトルが目に留まった。