【14】「対象の広がり」と「ひとり一人の目標達成」(2020年9月16日)

 前回、「来るべきオンライン時代に求められるのは、同じ音楽・インストラクションで一斉に運動しているように見えても、一人一人が自身の身体状況や体調に合わせて、各々の目指す目標が達成されるようになること」と述べた。そして、日本で行われている「ラジオ体操」は、それをかなり実現しているオンラインプログラムなのだ。

 そして、フィットネスのスタジオで行われているプログラムのほとんどは、「目的別/対象者別」に進化したプログラムを提供しているとはいっても、オンラインプログラムに期待される「対象者の広がり」を実現する上では、ラジオ体操にはかなわない。

 そんなバカな、と思う方もいるかもしれないが、本当のこと。

 なぜなら、「目的別に特化したプログラム」はそもそもその「目的」を必要とする方々だけに対象者を絞って提供されるのだから、「対象者の広がり」という観点からは逆行する。当たり前のことだ。

 例えば、「脂肪燃焼系」のプログラムは、「脂肪燃焼」を謳っているわけだから、筋力向上を志向している人々を対象としていない。もちろん、介護予防を目指す高齢者に向けられたプログラムではない。「目的別/対象者別プログラム」の究極の行きつく先は「パーソナル指導」であって、「対象者の広がり」という観点とは逆行するのだ。

 スタジオプログラムのオンライン化は、まずは「対象の(時間的空間的)広がり」を第一目標に構成されなければならないのだから、「パーソナル指導の媒体としてのオンライン」という発想であってはいけない。だからこそ、「ラジオ体操から学ぶこと」はまだまだ残っているのだ。

 もちろん、ICTが進化した今の時代に生まれ変わろうとしている“フィットネス”が、100年前に生まれたラジオ体操を超えられないというのはバカげている。私が「学ぶべきこと」として強調したいのは、「ラジオ体操の効能を決めるのは、指導者ではなくて実施者(参加者)だ」ということ。

 ラジオ体操では、同じ音楽に合わせて同じ動作を行うのであり、動作の順番を示すインストラクションも音楽とともにラジオから流れてくるから、「指導者」は、台の上で参加者に向かってミラーイメージで模範動作を行うだけで済む。その時「指導者」は、ひとり一人が何を目指してどのような動きをしているかなどと考えてはいないし、ひとり一人に注目してもいない。そもそも、ラジオのスタジオから録音放送している番組の出演者が、ラジオ受信機の前で運動している実施者の姿を見ることはできないのだから。

 それでも「ラジオ体操で健康づくり」という信念は、参加者のほとんどが共有していて、もっと重要なのは、その意味や効能は参加者個々人が勝手に創り上げているに過ぎないのだということ。

 つまり、ラジオ体操の(第一第二それぞれ)13の運動動作を創作した人も、毎日放送されている番組の体操指導者(ピアノ伴奏者)も、毎日世界中で同じ動作に勤しんでいる幾多の人々の一人一人がどのような思いでそれを実施し、どのような効果・効能を感じているのかということには全く関与していない。

 そのくせ、毎朝の日課として会場に集まるお年寄りや、夏休みの課題として参加する小学生やその父母たちの誰もが、それぞれの思いで各々の生活の彩としてラジオ体操を満喫しているということ。

 そこには、「健康な体づくりの方法」とか「ラジオ体操の楽しみ方」などの画一的な目標設定や《指導》は存在しない。つまり、「体操で健康づくり」という社会のコンテクスト(集団信念のようなもの)があって、その思想を普及するプロセスと並行して(その上で)放送される番組だから、参加者(実施者)が各々の効能を感じることができるという仕組みなのだ。

そこにはエビデンスは存在しない。

 じつは、エアロビクスも同様の構造にある。ざっくり言えば「フィットネス=健康な身体づくり」という信念の共有(コンテクスト)のもとに成立しているのであって、「健康の在り方」や「正しい身体づくりの方法」などと、一方的に(上から目線で)押し付けるようなものではない。それでも、「正しい…」などがあるかのように錯覚して、理論や技術の習得に励んでいる実態があることも事実である。

それらは無駄だということ?

 誤解してもらいたくないのでストレートに言うと、インストラクターにとって「理論や技術の習得」は絶対に必要だ。でも「オンラインフィットネスプログラム」を成功させるためには、従来の「理論や技術」に加えて、今どきの新しい考え方に基づく知恵が必要になるということなのだ。

(続く)

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