前回(昨日)、野口晴哉氏の「体癖」を紹介して、我々の科学技術の進歩は「体が進歩したとか丈夫になったとかいうこととは違う」という野口氏の考え方を紹介した。
では、体を丈夫にするには如何にすべきか。
このことについて、野口は「何もしなくても健康であり丈夫であるように人間はできている。楽しく快く生きることこそ人間の丈夫になる自然の道である」と説く。
「溌溂と動いたものにのみ深い眠りがある。体を丈夫にすることはやはり自然の構造に従って生活するより他に道はない。」
もちろん、「自然の構造」を「唯一の正しい在り方」として「整えよう」とする考え方もあるだろう。20世紀の医学は、人間の体を一つの「正常像」にあてはめて、「異常を治癒」しようとする。本書を読んで私が思い至ったのは、ひとり一人の体には、各々の生まれや生活に由来する「偏り」があり、それは「正しい姿勢」に整えようというよりも、それを個人の「癖」として受け止めて、各々の「癖」に応じた「自然な動き」を目指していこうとしたのではないかと確信している。
この「体癖」は、具体的には、足裏の左右前後別荷重を測定できる「体量配分計」によって、立姿・お辞儀姿勢など8種の姿位での「体量配分」を計測して、その荷重の偏りから、各人の「癖」を評価するというものである。上下型(1種・2種)、左右型(3種・4種)など計12の体癖種があり、さらに各々の亜種を含めて、12種48類に区分されるという。
ご本人は、自身の体癖を「9種」と呼んでいる。これは、体量配分から見ると、立位時には左右母指球(前内側)に荷重していて、お辞儀姿になると尻が後方に引かれて踵に荷重が移動するとともに前方荷重が左右小指球(前外側)に開くという偏りであるが、「集中する速度が非常に速い」「納得がゆけばやるが、納得しないうちは絶対にやらない」という性癖もあるという。
ただ単に、「体の動き」だけにとどまらず、考え方・嗜好・性癖にまで「体癖」を拡張し、お互いの理解の仕方、コミュニケーションの取り方にまで適用範囲を拡張した。これは教育や躾にまで及ぶ巨大な「野口思想」に発展するのであるが、もしかしたら、野口晴哉氏は急ぎすぎたのかもしれない。
今は、野口思想は、「公益社団法人・整体協会」が引き継いでいるが、1万人超の会員と200弱の指導室が行っている活動は、「野口整体 白山指導院」とか「船橋全生整体院」という呼称での単なる「整体治療」と認識されてしまうのではないかと危惧している。
私たちWWNの指導メンバーの一人である魚住廣信先生も、野口晴哉氏にも劣らない研究家・実践家。とても「科学的」な分析と理論体系なのだが、相談に訪れる方は「なんでそんなことがわかるのか」とあっけにとられる一方で、「どうしたらよいのか」という短絡な答えを期待することも多い。「短絡的な答え(操法)」の代表は「薬」であり、「これを飲めば(すれば)」という短絡な解決法(答)が、どれだけ私たちの体を弱く鈍く萎縮させ、そして生きにくくしてきたのか。
野口晴哉氏の三部作をあらためて熟読して、いろいろと考えさせられた夏休みだった。