前回の本通信で、アシックス・尾山会長の「シューズや自転車の売り上げも増えている」という発言を記した。今朝、日経新聞を見ていたら、フランスで自転車通勤している人が増えている(売り上げも伸びている)との記事。パリはヴェリブというレンタサイクルのシステムが普及していて、自転車専用レーンも整備拡張されてきたので、自動車から自転車への流れがさらに加速するのだろう。日本の道路整備は自動車レーン(車線)と歩道の拡幅が中心で、自転車は歩道へと(法令で)誘導されたため、まだまだ「自転車に乗りやすい街」には程遠いようだ。
今回のコロナ禍をきっかけとして「混んだバスや地下鉄に乗りたくない」というパリジャンの気持ちが自転車へと向かわせたようであるが、その前提には、自転車レーンの整備を着実に進めてきたというこれまでの実績があってのことなのだ。だから、日本でも自転車利用が増えるかどうかはわからない。
ところで、先週の学会の座談会の中で別の先生が、「今のコロナでのスポーツ界の出来事は、本来数年後に起きることが前倒しで起きた」と発言していたのを思い出した。
そうなのだ。今起こっていることは「コロナウイルス対策」として起こったことであるかのように感じてしまうこともあるのだが、テレワークにしろオンライン授業にしろ、すでに準備されて目指されていた営みが一気に実現したに過ぎない。何もなければ(何もなかったとしても)数年後には珍しくなくなる光景が、一気呵成に出現しただけのこと。だから、自転車レーンの整備を進めてきたパリで自転車利用者が増えてきたのは、数年後の姿が先取りされただけで、そのような機運がなかった日本で同じような光景が広がるわけではないということだ。
オンライン化も、AmazonのようなEコマースも、それを担う宅配・運輸サービスの忙しさも(置き配も)、放っておいても数年後に出現したに違いない光景が、コロナ禍の今急速に出現している。だから、それは「コロナ禍」によるものなのではなくて、時代の流れの中で起こるべくして起こったことだといえる。つまり、これまでに準備されていなかったような変化(例えば、皆が急にマスクを着け始めたことやアルコール消毒の流行など)は、そのうち元に戻るのだろう。
そういえば、最近ウォークに出かけるときの地下鉄の車内の混み具合が、徐々に戻ってきたような気がする。といっても、ぎゅうぎゅう詰めの車内にはまだまだ余裕はあるのだけれど、きっと、フランスほどには電車・バスが嫌われるようにはならないのではないだろうか。おそらくは、1年もたてば、「新規感染者の報道」も鳴りを潜めて、電車の混雑も復活するのではないかと思う。
すべては、一人ひとり(というか大衆)の心の持ちよう次第。
いつか(4月に)私は、「集団狂気」という言葉を使ったが、いつでも私たちには、(SNSも含めて)周りの人々から中傷されないような気遣いが求められている。マスクもソーシャルディスタンスもそのための手段に過ぎない。いやいやながらマスクを着け始めたトランプ大統領も、今月になってマスクを外す場面を増やした安倍首相も、すべては大衆の視線を気にしてのこと。
その「大衆心理」の操作こそが、この間の為政者が取り組んできたことなのであり、また、これからも世界中で試みられるアプローチなのだから。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男