前回の冒頭で私は、「フィットネスは新しい時代を迎えようとしている」と宣言した。
もちろん、世の中がAIやIoTや5Gなどの言葉で埋め尽くされそうな時代なのだから、フィットネスも無関係でいられないのは当たり前のこと。だから、ここで言う「新しい時代」というのは、フィットネスプログラムがスマホで予約できるようになったことも含まれるかもしれないし、遠くに離れたインストラクターと一緒になってエクササイズできるようになることも含まれるかもしれない。でも、それ以上に、フィットネスの根本原理が変革しようとしていることが重要なのだ。
それは、誤解を恐れずに簡潔に表現すると、《鍛える》から《整える》への転換と、《指導》から《教育》への転換、そして《個人》の重視という、3つの大きな流れがこの30年間に緩やかに進行し、それが間もなく表舞台に登場しようとしているということである。この「フィットネスの根本原理の変革」が世の標準となる前(なろうとしている時期)に、ICTの変革と普及が同時並行で進んでいたというのが、「コロナ禍」に直面した私たちを取り巻く基盤環境だったということ。
ここではまず、フィットネス根本原理の変革(3つの流れ)について述べることとする。
まず、《鍛える》から《整える》への転換についてであるが、そもそも、健康づくりの分野に「トレーニング=鍛える」という概念が導入されたのはいつごろからなのだろうか。誤解を恐れずに大胆に言うと、1968年に「エアロビクス」がフィットネスの中核理論として著されたときからである。また、長らくフィットネスに携わっている方ならば薄々気づいているのではないかと思うのだが、最近では「トレーニング」という言葉がフィットネスのシーンで使われる頻度は、40年前と比べて少なくなってきているようだ。かつては、エアロビクスでさえ「エアロビックトレーニング」と表されていたこともあったのだが、最近では「筋トレ」さえ「コンディショニング」という言葉で表されることも少なくない。これは、高齢者の参画が増えてきたこととも同調するのだが、フィットネスの根本原理が地殻変動していることの表れであると、私は考えている。
2つ目の、《指導》から《教育》への転換であるが、3つ目の《個人》の重視という流れとも関連する。人々が社会の仕組みの中でしか生きていけなかった時代には、世間の定型の中で自身の《生き方》を決めていくことしかできなかったのだが、ひとり一人が自身の人生の営みを自分で開拓することが珍しくなくなった時代には、《個人=自分の生き方》を模索し、それを支援する環境が求められるようになった。それゆえ、世間一般が「正しい」と認める状態に導こうとする《指導》の手法なのではなくて、ひとり一人が自らの生き方を自分で決められるようにしようとする《教育》の要素が大きくなってきている。例えば、スタジオでのレッスンにしても、ただ単にエクササイズ(消耗)の機会を与えるだけではなく、一つ一つのエクササイズの意味を感じさせているはずだし、なによりも参加者個人の満足感を大切にしているはずだ。また、パーソナル指導においては、単に運動させるだけではなく、それらの運動の意味を同時に教えているはずだ。なによりも、ひとり一人の生きがいと幸福の実現のためにどのようにすべきかということは、ひとり一人が自ら学びながら決めていくことなのであって、専門家が指南する状態へと導かれていくだけではないということに、多くの方々は気づき始めている。
それを実現するのが、「新たな時代のフィットネス」なのだ。
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