【6】患者のためのフィットネス!?(2020年5月26日)

 例えば、フィットネスクラブに「病気」の方がいらっしゃったとしたら、クラブではどのような対応をするのだろうか。日本にフィットネスクラブという施設が誕生したころ(1980年代)は、「運動しても良いという主治医の許可を得てください」などと、「病気(患者)」と向き合うことを避けていた時代もあった。もちろん、フィットネス施設は病気を治すところではないし、患者のためのプログラムを提供する施設でもない。だから、「病気(患者)」と真面目に向き合ったとしたらおかしなことになってしまうのだが、だからといって、「病気(患者)」を受け入れないという考え方に短絡するのは、じつはもっと奇妙なことなのだ。

どうして「奇妙」なのかということはさておいて、フィットネスクラブが「病気(患者)」の受け入れに慎重になったのは、もし運動中に事故が起こったとして、それが「運動したことが原因」ということになったら責任が取れないという考え方が、その根拠にあったようだ。でも、この40年の間に、人々は毎年の健康診断(健診)を受けることが当たり前になって、「糖尿病」や「高血圧」と診断される方の割合がどんどんと増えて行って、世間には「糖尿病」あるいは「高血圧」と診断されていても、ちっとも苦しんでいなかったり、患っている(患者)と言うのに気が引けるほどに元気に過ごしている方も多くて、“患者”という言葉が死語になってしまったのではないかと思えるほどに、「元気な有疾患者」が増えてきたからだ。しかも、それらの「元気な有疾患者」には「運動」が勧められるわけで、フィットネスクラブにもどんどんとやってくる。だから、フィットネスクラブや各種運動施設には、「元気な有疾患者=患者」を拒否していたら始まらないという状況になっているのだ。

もし、40年前のように「医師の許可を」などと言おうものなら、「医者から運動しろと言われた」と言われるに決まっている。つまり、そのような「元気な有疾患者」は、かつてのように「病気」という概念でひとくくりにするわけにはいかないということ。仮に、ここではそれを“現代的疾患”とでも名付けるとしたら、フィットネスクラブは、そのような“現代的疾患”の患者(というか患ってもいなさそうなので患者という言葉もどうかと思うのだけれど)にとっての《福音》となる。フィットネスクラブで運動することが、その“現代的疾患”を改善するカギになるのだ。つまり、それが「健康のため」。

あれ?

もしかしたら、フィットネスクラブのような運動施設は、そのような”現代的疾患“を治す施設なのだろうか。今回の冒頭で、「フィットネス施設は病気を治すところではない」と述べた。でももしかしたら、《病気》=”現代的疾患“を治すところなのか?

そんなはずはない。病気を治す場所は、あくまでも「病院」でなければいけないのだ。だけど、今では“現代的疾患”とでも呼ばなければならないような「有疾患者」が増えてきて、それらの疾患は病院では治さない(治らない)ので、食事も含めて生活習慣を変えることが必要になって、フィットネスクラブはそのような生活習慣の改善に貢献するがゆえに、結果的に《病気》を治してしまう場所になってしまっているということ。

それは、だれもが知っていることなのだけれども、公式にはそうであってはいけない(つまり、病気を治す場所であってはいけない)ということになっている。あくまでも、「治ってしまう」ということが重要で、もし「治している」ということになったとしたら、「(運動しているのに)治らないじゃないか」などとクレームをつけられるリスクが生じてしまうからなのだ。

40年前は、「運動して病気がひどくなったらどうする」などと恐れていたのに、近い将来は「病気が治らないじゃないか」とクレームをつけられるリスクにおびえたりするのかもしれない。

でも、それは《フィットネス》への期待が高まってきたがゆえのこと。

だから、フィットネスは素晴らしいのだ。

(JWIコネクトに連載中。閲覧はアプリから→ https://yappli.plus/jwi_sh

コメントを残す