世間では、新型肺炎(コロナウイルス)の話題が盛んである。
新型コロナウイルスの問題の本質は、「人から人への感染が繰り返されることによるウイルスの変異と病原性(致死率)の増大」だ。そもそも、鳥インフルエンザも豚コレラも、鳥や豚だけに感染(発症)している限りは、(食用家畜被害と生物環境保全の観点以外は)人にとってはたいした問題ではない。しかし、人がそのウイルスに感染して発症してしまう状況になると、「苦しむ人が現れる」ということなので、その瞬間に《人の問題》になる。でも、それはあくまでも《感染した個人の問題》なのであって、広く《人類の問題》ではない。ところが、そのウイルスが、(感染した)宿主の個人の体内で生育し、別の人に感染したとしたら、その時点で《人類の問題》になるのだ。そして、その感染を繰り返すことによって、感染力と致死率が高まるような変異をおこすこと、そしてまた、それが多くの人に感染しておびただしい人が亡くなること(パンデミック)につながりかねないことが恐れられている。今、WHOや政府諸機関が危惧しているのは「パンデミックにつながるウイルスの変異」なのである。
念のため、ウイルスに感染した《個人》の体内で起こる現象を述べておくと、口・鼻や目などの粘膜から体内に取り込まれたウイルスが、細胞に取り込まれて増殖する。ところが、《個人》の遺伝子とは異なるために、体内の免疫系がウイルスをブロックして(A)死滅させようとするとともに(B)体外に排出しようとする。この(A)のプロセスが、発熱や炎症反応で、それらが「発症」することがウイルス撲滅の正常な過程なのだ。一方で(B)のプロセスが、咳やくしゃみなどの反射的行動であり、その過程でウイルスが体外に除去されるというわけである。どちらも、ウイルスに対する正常な免疫反応なのだが、前者は自身の身体を苦しめるし、後者は他人を感染させるリスクを生じさせる。
このようなウイルスの対処に関しては、二つの考え方がある。一つは、自身の身体に潜入した時点で、ウイルスが増殖しないようにする(Aのプロセスを緩和する)という考えで、「予防接種」や「ウイルス増殖抑制剤」の投与によって薬理的に身体環境を変化させようとするアプローチだ。「免疫力を高める」という考え方も有効で、《フィットネス》はそのための方法の一つである。いずれにしても、ウイルスに感染しても大丈夫な身体をつくるという点で、《個人の健康=個人の福祉》を求める対処法である。
ウイルス対処に関するもう一つの考え方は、体外に排出されたウイルスが、他人に感染しないようにする(Bのプロセスの悪影響を無くそうとする)という考え方である。いわゆる「うがい手洗い」や「手指の消毒」がそれにあたるし、感染者の口鼻から発散される咳やくしゃみの飛沫を飛散させないようにするという方法も、「くしゃみエチケット」として普及している。昨今話題になっている「スポーツや文化事業などの自粛」も、多くの人が集まる場をなるべく少なくして感染の拡大を抑制しようとするものであり、《公共の福祉=公衆衛生》の観点からの対処法である。
ところで、昨今、フィットネスクラブやスイミングクラブなどで活動を自粛したり休業したりするケースがある。《フィットネス》は個人の幸福の観点からのアプローチなのだが、《公共の福祉》=《感染を防ぐ》という観点からは、その活動が抑制されてしまうケースもあるということだ。日本国憲法(第12条、第13条)を持ち出すまでもなく、「公共の福祉」とは個人の人権を制約する原理であるから、《公共の福祉=公衆衛生》のために一人一人の幸せの追求が阻害されるのもやむを得ないことだ。
でも、間違いなく、《フィットネス》は、人々の暮らしを豊かにする役割を担っている。
《フィットネス》に携わるすべての人々が、全力で人々の幸福の追求に役立てるようになる日が早く戻って来ることを願うばかりである。
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