前回、「急に具合が悪くなる」という書を読んだ感想を述べたが、その中で私が一番気に入ったセリフが「そうじゃない生き方」だ。
宮野真生子さんがガンを患い、「急に具合が悪くなるかもしれない」と告げられた後に、「ガンをほどほどに抑えつつこのままやっていける人生」と、「副作用に苦しみながらも何とか生きていく人生」、そして「重篤な副作用で息も絶え絶えになる人生」に分岐するという自身の置かれた位置を吐露する。これに対して磯野は、
》医療の世界では「正しい情報に基づく、患者さんの意思を尊重した支援」
》と誰もが言うのだけれど、そこでの「正しい情報」には、医療者が思う
》未来予想図と、その地図の中での理想的な振舞い方が埋め込まれている。
と言う。
実のところ一人の患者は「待ち受ける未来はこうだからこちらの道を行く」という運命論的な選択しかできないのだが、その道には「医療者の意図が相当に組み込まれている」とのこと。その延長で、現れるのが上記の言葉。
》私たちは本当に合理的に『選ぶ』ことなんてできるのだろうか、という
》宮野さんの問いかけは現代社会に向けた大切な問題提起だと思います。
と述べた後に次の言葉を発する。
》そうじゃない生き方を想像するのは難しいし、そうじゃない生き方をす
》る人を怪訝な目で眺めることもある。
つまり、ここでいう「そうじゃない生き方」とは、世間一般に「合理的」と信じられている生き方とは異なる選択肢であり、医療者の意図が組み込まれた未来予想図を「合理的」と信奉する人々にとっては、それを想像するのが難しいし怪訝な目で眺めることもあると論じる。このくだりを目にして、私は自分の考え方が「そうじゃない生き方」なのだと合点した。
この数年間、私は定期健診(人間ドック)を受けていない。大学からは、「健診は義務付けられている」などと、受診しない私を責めるようなメールや文書が頻繁に届くが、検査を受けることが自身のためになるかならないかという基準で自分の行動を決めているつもりだ。もちろん、思想的に拒否しているわけではないし、いくつかの検査結果には興味がでてきたので(項目を厳選して)今月下旬に受診予定である。もちろん、その結果を解釈するのは私自身であり、《指導》の言葉をうのみにするつもりはない。
また、あることをきっかけに私は薬を飲まないようになった(風邪薬も飲まない)。一昨年春に感じた足の痛みに対して「痛風」と診断されて、血液検査の結果(ギリギリ基準値内)から「尿酸値を下げる薬」を勧められたときにも、お断りした。生活習慣の帰結として生じる身体症状を薬でコントロールするという考え方が、私には信じられないのだ。もちろん、「安心のため」などといって薬を進める医者を、私は信用しない。血圧はあまり高くはないけれど、もし降圧剤を勧められても拒否すると思う。
このような私の行動は、周りの方々からは怪訝に思われることもあるのだけれど、「そうじゃない生き方」という言葉を得たことで、自分の行動にますます自信が沸き上がったのである。「医療者の意図が組み込まれた未来予想図」という言葉(アンチテーゼ)までプレゼントしてくれた磯野さんに感謝したいと思う。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男
