表題の書を年末に読んだ。
著者は、宮野真生子&磯野真穂“。宮野さんのことは知らなかったのだが、もう一人の磯野さんは20年前の私のゼミの卒業生。卒業後、オレゴン大学大学院に留学し文化人類学を学び、早稲田大学文学研究科で博士学位を取得して、今は国際医療福祉大学大学院の准教授。早稲田大学での助手時代に私の授業で講演してもらったこともある。
この書は、宮野さん(哲学者)と磯野さん(文化人類学者)が昨年4月から7月にかけて10回にわたって往復したメール書簡の形式をとっている。
二人は、一昨年の秋に初めて出会った際に、宮野さんがガンに侵されていることを打ち明けられたという。その後、年明けのイベントを企画していた際に、「急に具合が悪くなる可能性がある」ことを告げられた。磯野さんは、ガンを「死ぬ病気ではない」と安易に考えていたそうなのだが、すでに「多発転移」を告げられて治療の可能性がないことを受け止めていた宮野さんにとって、「急に具合が悪くなる」という事態は即座に死を意味するもので、「入場者からお金をいただくイベントの講師を引き受けても良いものか」と迷っていたそうだ。
ガンに罹患した患者は、まずは標準療法(抗ガン剤・放射線治療・摘出手術の組み合わせ)を受け、それが効力を発揮しないことが分かった段階で、代替医療に望みを託すか死を受け止めて余生を考えるかのどちらか選ぶ。後者のプロセスの一つとしてホスピスの活用もあるのだが、宮野さんも主治医から「念のためですけどホスピスを早めに探しておいてほしいんですよ」と言われて、「『急に具合が悪くなる』の先に何があるのかをようやく悟った」という。磯野さんは、ちょうどそのころ巡り合った“仲間”だったようで、「そうした病を抱えて生きることの不確定性やリスクの問題を磯野さんと専門的に深めてみようという学問的野心」が、この書簡の動機のようだった。
4月29日の磯野さんのメールから始まった二人の書簡は、7月1日の宮野さんの返信で10回のやり取りを終える。1週間後に磯野さんが(おわりにと謝辞の原稿を携えて)病室を見舞った折には「文章を打つことはおろか、自分の目でそれを読むことさえ難しくなって」いたという。同月22日に逝去した宮野さんに代わって、ゲラの校正は磯野さんが担い、9月25日に発刊。
私は、たまたま12月にフェイスブックで磯野さんのコメントを目にして本書を知ってすぐに購入。年末に一気に読んだ。
率直に言えば、まだまだ傑出していない若い哲学者・宮野が、まだ成長中の(1歳年上の)人類学者・磯野と共に「死」を探求した試みと感じたのだが、すでに熟れすぎて腐りかけた老齢学者(私)としては、ただただ「青い果実」のみずみずしさに感心させられた物語であった。
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「かもしれない」という確率論と、「どうすべきか」という運命論
「そうじゃない生き方」を想像するのは難しい
代替医療をめぐる問題は、希望と信頼の位相で話すべき
病気というのは、私一人の身体に降りかかるものでありながら、私一人にとどまってくれません
「良い患者」の姿
「いま」に身を委ねる勇気
「何かには必ず原因があり、それは合理的判断によって避けられる」という、現代社会の信念がもたらす不幸
「ガン患者である」というアンデンティティ
患者フェーズの会話は役割が固定され、余裕がありません
「ケアするもの-されるもの」の固定的なフォーマット
偶然を引き受けるときに私たちは自分という存在を発見するのだ
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私が拾った言葉だけであるが、「死」に臨んだものとそれを看取るものの感性が言葉として残ったということだけでも、本書の意義は大きいと思う。
もちろん、ここに記されたことがすべてではないし、それをさらに私が抽出(編集)しているわけだから、この文章自体が偏向的であることは言うまでもないが、少なくとも私は、「死」に対する若い二人の感性から多くを学んだということだけは、強調したい。
(続く)
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男
