WWNウエルネス通信 (12月22日配信)“「間違いだらけのウォーキング」から考える《歩き方の原理》”

「間違いだらけのウォーキング~歩き方を変えれば痛みが取れる~」という題名の書籍を読んだ。2014年の発刊で、同書を知ったのはずいぶんと前だったのだが、著者の木寺英史氏の「足」や「歩き」についてのセオリーを全てマスターしてから読もうと、最後まで取っておいたために、読んだのが今月になってしまった。ご承知のように、この数か月間は「歩き方」について、巷にあふれる諸説を整理統合する作業に没頭していたので、率直な答えが書かれているような直截なタイトルの書に手が伸びなかったのかもしれない。もちろん、前回述べたように、最近では「もも裏歩きでひざの痛みがたちまち消えた」などといった素人受けを目指すタイトルの書も読むようになっていたので、そろそろ潮時といえる。「歩き方を極める」という私の作業も終わりに近づいたのかもしれない。

前置きはそのくらいにして、著者は、現代人の歩き方のルーツが明治政府によって導入された「歩き」であり、「富国強兵策を支える様式軍隊を組織するためにどうしても必要なもの」であったという。「服装や履物、さらには道路環境の変化によって私たちの『からだ』は変容」し、日本人が現わしていた様々な歩き方(腰をちょっと落としたすり足歩行や、腰高で足を交叉させる大工やとび職の歩き方、若い娘の内股歩き、年増女の練り歩き、等々身分や職業や性別に特有な歩き方)が失われたとのこと。そういえば、和服を着て左腰に大小の二刀を差して歩く侍は、骨盤が回旋したり上下に動いてしまっては刀が振れてしまって歩けないに違いない。時代劇の役者には「腰を落とし気味にして胸を自然に張り、からだ全体を腰から前に押し出すような」歩法が指導されるのだという。

農民の動き(歩法)も、その作業に適した動き方だけが繰り返され、それが普段の歩きに反映されることになる。その歩き方は「右足が前に出るときは右肩が前に出て、…腰を入れて腰から下だけが前進するようにし、上体はただ腰の上に乗っかって、いわば運搬されるだけのような形」になって、「体幹を正面に向けたまま捻らない」という歩き方になるのだという。それが「当時の農耕生産の作業」に適した歩き方なのかどうかは、今となっては確実ではないが、少なくとも、明治政府が徴兵した庶民のほとんどは「集団移動ができない」「行進ができない」「かけ足ができない」「突撃ができない」「方向転換ができない」という歩き方(身体)上の欠陥があったようで、洋式軍隊を組織するにあたって「農民のからだを近代化する」作業が必要になったとのこと。それが、義務教育における「隊列をつくって歩く」という訓練に結実していったことは、体育学の基本の「キ」でもあったことを思い出した。

それはさておき、現代の「歩き方」は、「地面を前に蹴って進む」という感覚と動きを基本にしており(それが洋式軍隊の組織化に必要だった)、このような「伸展感覚の歩き」が「腰痛・ひざ痛・外反母趾」などの痛みを生み出しているのだと木寺氏は述べる。また、現代日本のスポーツ界に広まっている「拇指球信仰(拇指球に足圧をかけておくことが素早く動く条件であるとする考え方)」もまた、「伸展感覚の歩き」を助長するのだという。

さて、このまま続けると長くなるので、慌ててひとまず私の感想をまとめると、次のようになる。

1)歩き方は《様々》であり、日本人は(おそらく世界じゅうでも)日常の生活(労働)様式(生活習慣)に応じた身体の使い方(動作)や歩き方をしていた。

2)軍隊の行進や戦闘行動にも、それに必要とされる(適した)体の使い方や歩き方がある。それらは、訓練によって習得することができる。

3)現代の(高齢期の)日常生活を楽にすごすためには、それなりの(適した)動き方や歩き方があって、それは「習得可能」である。

これは、表記の著書の第一章を読んで私が得た結論(私見)である。

前回紹介した「もも裏歩き」も上記「3」を目指した指導法の一つであり、木寺氏の「指導法」については、次回以降に紹介したい。(続)

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

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