WWNウエルネス通信190414:「君が代」と「都の西北」

4月1日。新たな元号「令和」が発表された。「大化」以来248番目。かつては天皇在位中の改元もあって、現在の皇太子徳仁親王の在位をもって126代とのこと。このうち、「実在」が確実視されている26代継体天皇以降で100代。この間、約1500年なので、一代あたり15年の在位となる。

ところで、その後愚息の入隊式があって、久しぶりに《君が代》を聞いた。

「…ちよにやちよに…」のくだりを耳にして、一体どれだけ未来を想像したら良いのかと驚いた。なにしろ、「千代」といえば日本の天皇の世代(100代)の10倍だし、「八千代」はさらにその8倍なのだから。まさに、「君が代」は、これまでの日本の国がこれからも何十倍もの長きにわたって続くことを願う歌なのかと感じ入った。

もちろん、「細れ石が巌となる」のには人類の営みを超える《地質学上》の年代をへることが必要なので、その文言を文字通りに受け止めるのはバカげているとはいえ、気が遠くなるような未来を祝す歌なのかと、思いを新たにしたのだった。

ところで、それを書くからには、きちんと調べておかねばならないと、「君が代の歴史(山田孝雄著、昭和30年刊)」を読んでみてさらに驚いた。

曰く、この歌は1100年前の古今和歌集に「読み人しらず」として記されているのが最初で、以来、その歌詞にはいろいろと変遷があるものの、「祝賀の席の最後を飾る歌」として歌われてきたとのこと。江戸時代には、謡曲・小唄・長唄・盆踊歌・琵琶歌など様々な場面で歌い継がれていた。

曰く、「君が代」の曲譜(メロディ)は、明治13年に海軍が公式の軍楽として作曲制定したのが始まりであるとはいえ、それは1200年前から国民の上下一般に行きわたって支持せられてきた「日本民族唯一の民俗歌ともいうべきもの」とのこと。

もっと驚いたのは、君が代の「君」を、私は「天皇」のことと思い込んでいたのだが、天皇あるいは主君の意に限定されるものではなく「敬愛する相手」あるいは「この歌を贈る相手」のことを意味するのだということ。英語でも「Sincerely Yours」というし、日本だけの表現ではないということにあらためて感心した。また、「代」は「世代」の意というよりは「歳」を意味するものであり、いわば、「敬愛する相手の長寿」を祝うものだということ。

つまり、私が、「ちよにやちよに」を「天皇の世代」と思い込んでいたのは大いなる過ちで、じつは「千歳、八千歳まで」というような長寿の祝い歌だということだ。もちろん、現在の祝宴で「君が代」が最後を飾ることはまれであるが、「万歳!」という唱和なら珍しいことではない。そしてこの、「万歳」の相手は、天皇陛下というよりはむしろ「参集の皆様」という意で用いられていることは疑うべくもないのである。

というような思考をめぐらせたある夜、早稲田大学前のレストランでのこと。隣室で行われていた祝宴の最後に「都の西北…」が聞こえてきた。早稲田大学関係者の祝宴の最後に歌われる我が校歌が、「第二の日本国家といっても過言ではない!」という、いつもの応援部の台詞も、まんざら誇張でもないような気がしてきた。

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