ゴルフには様々なルールがある。
たとえば、一緒に回る4人が打つ順番から始まって、OBやペナルティエリアでの処置や罰打数など…。グリーン上で打ったパットが他のボールやピンに当たったら《1打罰》とか、グリーン上以外でボールに触る(拭く)と《2打罰》とか、様々な局面での処置を記したルールブックは1cmほどの厚みがあって、とても全てを丸暗記することは困難だ。
ところが、ここには《原理》がある。3原則を挙げるとしたら、「①あるがままに」、「②正直に」、「③自分が得をするような振る舞いは禁」といったところで、罰打については、「不可抗力の場合は1打/故意は2打」が原則であろうか。この他に、「迅速なプレー」、「他のプレーヤーに不快な思いをさせない」、「安全への配慮」といった事柄が、主な《原理》といえるだろう。
例えば、他人が打つときに静かに見守るとか、思いがけない方向に打球が飛んだときに“(フォァーと)大声を上げる”などの記述も含めて、ルール(処罰付)やマナー・エチケットとして、ルールブックに記載されている様々な事柄は、上記の原則に基づいて読み解いて行けば理解がしやすいし、よく分からない事態に遭遇したときも、その《原理》に従って対応すれば間違いがないのだ。
《原理》を問うことの重要性は、ゴルフに限らず世の中の全ての事象に通じる倣いともいえる。あらゆる法令は、その一文一文を読んで憶えようとしても大変なのだが、《原理》を会得すると合点がいきやすい。
例えば、私の専門領域の「公衆衛生」という考え方は、「公共の福祉のために個人の権利を制限すること」という原理があって、麻疹やインフルエンザの予防感染にしても、医療・介護の保険料負担にしても、その根本原理(公衆の保健衛生のための個人の行動や財産権の制約)に基づいて理解すれば、その仕組みを納得することが容易である。しかし、「ルールで決まっているから」として疑問を持たずに服従しよう(させよう)という風潮があることは、私にとってはとても気になるところである。
ところで、私が大学院で教育している《研究》は、「新たな原理を見つけるために探求する営為」である。新しい治療法の開発のような医科学的研究はもとより、複雑な世の中をより分かりやすく理解しようとする社会学的な研究も、暮らしやすい世の中を生み出すことに貢献している。
“忖度・虚偽・隠蔽”といった言葉が一昨年来流行ったが、最近の学生の中に、「先生に言われたから(課題を)やっている」というような思考や行動が増えてきたような気がすることにも、一抹の不安を禁じえないのである。