WWNウエルネス通信190310:ボーっと生きる??

今週木曜日(3/7)のこと。その日は終日、早稲田の研究室で仕事。9時前に到着後、すぐに《ウォーキング調査用パスモ》の残額を確認しなければならないことを思い出して東京メトロ早稲田駅の券売機に向かう。その帰路、10時からの打合せ(7月の学会企画)や、15時からの打合せ(新規研究会立ち上げ企画)の内容を思い起こして、本日以降の展開を想定しながら、打合せの進め方をシミュレーション。歩きながらふと、腕時計を見た。

その瞬間、「なんで歩きながら時計(時刻)を気にしているのだろう?」との疑問が沸いた。と同時に、「ボーっと生きてんじゃねえよ!」との《チコちゃん》のセリフ。というか、実のところは「(時間を気にせずに)ボーっと生きていられたら楽だろうなぁ」という思いが去来した。

 思えば、朝起きて顔を洗う前にスマホで《カレンダー(その日の予定)》と《天気》を見るし、家を出ても歩きながら《乗換え案内》で行き先までの経路と時間をチェックする。確かに便利なのだけれど、スマホの《カレンダー》には半年先まで予定が入っているし、その隙間を確認しながらメールでの日程調整を行うというような慌しさは、それが故にずいぶんと暇やゆとりが得られるようになったとはいえ、よくよく考えたら忙(せわ)しない限りである。

 そう言えば、今月立て続けに行っているウエルネスウォークの《コース調査》でも、今秋から来年春までのコースを作成しているのだが、一年後の姿をイメージしながら今の行動日程を調整し、(パスモ残額も含めて)その行動準備に取り組みながら今夕の《大学院ゼミ》を思い浮かべる。その《ゼミ》も一年後の学生が書く論文と、その卒業時の姿をイメージしてのこと。思えば思うほど、将来の姿のために今日を生きる忙しなさに感じ入る。

 30年前のこと。定年退職した職員OBが「サンデー毎日(毎日が日曜日)です」といって“暇な生活”を吹聴していたことを思い出した。かつては、退職したら《ボーっと生きる》ことも可能だったのだろう。でも今、私の周りにいる《高齢者》は、ウォークに参加される方々も含めて、だれもがメールや電話でスケジュール管理をしているし、一月~1年後、場合によっては自身の死後の子孫の姿をイメージしながら今日を過ごしている方々も多いことだろう。たぶん「ボーっと生きている方」は、ほとんどいないと思う。

 《ボケ防止》という観点からは大切なことなのかもしれないが、時には《ボーっ》と過ごしてみたい、と感じた。

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