WWNウエルネス通信181216:食生活習慣から気づく体重

 私は毎日、夕刻~夜にシャワーを浴びる。脱衣所には体重計が置いてあって、衣類を脱いだ状態の体重を測ることを習慣としている。必ずしも毎日ではないのだが、5年ほど前までは、ほぼ毎日記録していた。最初は手帳の日付欄に記載。2007年頃からは、最初のスマホに入っていたNumRecorderというアプリを見つけて、手帳からスマホに変更。スマホを買い換えてから(この5年間)は、そのアプリがダウンロードできなかったので、記録を止めてしまった。どうして「記録」していたのかは自分でも説明できないし、止めた理由も分からないが、きっと「記録」に意味を感じなくなったのであろう。

 でも、いったいどうして人は体重を知ろうとするのだろうか?

 それはさておき、自宅の脱衣所は洗面所と共有なので、最近は、洗面台の前で体重計に乗って、自身の身体(上半身)を見ながら体重を予測してから数値を見るようにしている。肩から胸にかけての脂肪の付き方や、腹部のたるみなどをよくよく見ると、日々変化していて、食べすぎ飲み過ぎが続いた折には“ふくよか”で、「72kg超?」と予測して「72.2kg」だったりすると、「やっぱり」と納得。夕食後の飲酒が少ない日が続けば、腹回りが(少しだけ)締まって感じられたりして、「70.5kg」などと予測する(±0.5kg程度の誤差でだいたい当たる)。

 よくよく考えると、鏡に映った脂肪の付き方だけから“予測”しているのではなくて、自分の直近(2~3日間)の食生活を振り返って“予測”するわけだから、何も鏡の前で測らなくても良いのであるが、鏡の裸体を見ると、「そう言えば」と自身の食生活を振り返る(思い出す)ことができるので、やっぱり鏡は必要なのだ。

 ところで、先日、乗馬のブーツを履こうとして、ジッパーを上げるのに苦労したことがある。その頃は、体重も72kg超が続いていた頃で、食べ過ぎの影響が「ふくらはぎの脂肪」にも表れることを痛感した。その後節制して、次回ブーツを履いたときには、すっきりとジッパーを上げられて安心した。こんなところにも、“体脂肪”の蓄積を感じることができるということ。

 ところで、上半身の鏡像やブーツの履きにくさから最近の食生活(食べ過ぎ)を振り返ることができて、それを抑制する効果を持つのであれば、どうして、わざわざ「体重kg」という“数値”を知らなければならないのだろうか?

 “食べ過ぎたら太る”、“穏当な食生活が続けば太らない”ということは、体重を測っても測らなくても変わらない真理である。ならば、究極の“体重維持法”は、“食生活をきちんとモニタ(思い出す)”ことなのではないだろうか。

 じつは、体重を記録することや測ることよりも、それを通じて自らの“食生活習慣”を認識することの方が重要だという、あまりにも当たり前のことに気づいた次第である。

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