いつのころからだろうか。“イキむ”ようにになったのは。
おそらく30年ほど前から、私は毎朝、起床直後に排便するようになった。
「朝起きたら一杯の水を飲んで、便座に座る」
それは、30歳前後に読んだある記事を読んでからである。もはや出典を思い出すことさえできないが、「快便健康法」のようなことが記載されていた。それをそのまま試してみたのだった。
「便座に座ったら、“イキまずに”排便だけに集中して静かに待つ」
というようなことが書いてあったと思う。ただひたすらジッとしていると、そのうち静かに便が落ちてくる。それをただひたすら待つのであった。最初のうちは時間がかかったが、毎朝繰り返していると、だんだんとその時間が短くなってくる。慣れてきたら、朝起きて冷水を飲んだら便意が生じて、トイレに座ったらボトンと落ちた。これが習慣化してきたころには、朝食前、出勤直後、昼食後、と毎日3回の排便が当たり前のこととなった。そのうち、それが24~30時間前の食事の結末だと気づくようになった。
もちろん、時には一日1回のときもあるし、4回のときもある。でも、そういう時は、前日(あるいは前々日)の食事の内容や生活パターンが何時もと違っていたことを思い出すのであった。毎日(ほとんど定時)の3食と3便。このような気持ちの良い生活習慣を繰り返すことができるのは、私にとっては当たり前のことであったが、別に他人と話す(比較する)ような機会はないから、それがどれだけ希少な(or普通の?)ことなのであるかなどと考えたこともなかった。 ただ、最近気づくと、“イキむ”ことが時々ある。というより、勝手にそれが“ボトンと落ちる”ことが、以前より少なくなってきたのではないかと感じる。特に、朝置きたての一杯の水だけでは自然には便意が起きないような気もする。「しばらく動く(歩く)と出易くなる」などと感じることもあるので、もしかしたら以前とは腸の調子も変わってきているのかもしれない。というか、食べるものと行動パターンがいつの間にか変わってきて、それが“排便習慣”に現れてきているのかもしれない。自然に繰り返されていた排便現象に、“イキむ”という意図的行動が必要になってきたとき、もしかしたら“食べる”や“歩く”といった自然な行動を“イキんで行う”あるいは“無意識にできなくなる”としたらどうなってしまうのかと想像した。